愛犬クッキーがくれた勇気:父の想いを継ぎ、日本発の旅ブランドを創る T&S 斉社長の挑戦

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「制限を自由に変える」――それは、彼女自身の人生そのものだった。幼少期から中国・アメリカで過ごし、26歳で経営者に。V字回復を果たしながら、ペットキャリーブランド**「Petico」を立ち上げた斉 真希社長**。「愛犬との移動」という制限をなくし、もっと自由なライフスタイルを実現したい。

彼女が描く、ペットとの新しい未来とは?その原動力と想いに迫ります。

プロフィール

株式会社T&S 代表取締役社長 斉真希

1995年北京生まれ。アメリカ ホーリークロス大学(College of the Holy Cross)にて社会学・国際研究ダブル専攻、社会学部学部賞・優等学位取得。

卒業後、21歳でデロイト トーマツ コンサルティングに入社し、日系自動車メーカーや政府機関の先進モビリティー事業戦略のコンサルタントを経験。

2019年、中小企業向けのサービス開発を目的に、株式会社リクルートライフスタイル(現 株式会社リクルート)に入社。Airシリーズ事業管理・新サービス企画担当。2021年から株式会社T&S 代表取締役に就任〜現職。

 幼少期――日本と中国を行き来しながら育った日々

今日は斉さんの人生ストーリーをじっくり聞いていきたいと思います。まず、幼少期は埼玉県の越谷で過ごされていたのですか?実は私も実家が埼玉県草加市でして!

6歳までは越谷で、地元の保育園に通っていました。ただ両親が「中国語も身につけたほうがいい」と考え、小学校に入るタイミングで中国へ。そこからは現地の学校に寮生として入り、6歳のときにいきなり中国語漬けの生活がスタートしました。

小学校入学でいきなり寮生活って、すごい環境の変化ですよね。言葉の壁やカルチャーショックはありませんでしたか?

もちろんありました。日本語しか話せない状態で、クラスメイトは中国人ばかり。最初は「日本帰れ」とか陰口を叩かれてたみたいなんですが、私、半分ぐらいしか意味が分からなくて(笑)。それでもやっぱり、周囲に溶け込めない孤独感はありました。父は仕事で日本に残っていて、母は行ったり来たり。6歳の私としては「なんで両親と離れ離れなんだろう」と不安も大きかったですね。

それほど厳しい状況下で、どうやって乗り越えたのでしょう?

一つは、母の教育方針が「嫌なことがあっても、まずは自分で動いて現状を変えなさい」というものでした。母自身、当時PTAで校長先生に直談判するとか、先生の教え方が良くないと校長先生に交渉するなど、とにかくアクションを起こす人で。「不満があるなら声を上げる」「課題があるなら動く」という姿勢を小さい頃から見て育ちました。
それが私の中でも「あ、国籍や文化の違いを理由に傷つけられるなら、それを変えるには自分でアクションを起こすしかない」と思うきっかけになりました。7歳ぐらいのときには中国語がそこそこ話せるようになっていたので、「いじめをされたら堂々と言い返す」「困っている子を助ける」みたいなことを少しずつ行動に起こしていきました。

父と会えなかった”寂しさが育んだモチベーション

6歳から親元を離れての寮生活って、やはり寂しさを感じることも多かったのではないでしょうか?

正直、とても寂しかったです。父は日本で仕事をしていたので、年に数回会えるかどうか。小さい頃に書いた作文を今読み返すと、誕生日に欲しいものが「パパに会う時間」だったり(笑)。「どうして私はこんなに一人なんだろう」って、子ども心にも思っていました。

その寂しさが、勉強や学生時代の活動のモチベーションに繋がったりもしたのですか?

そうですね。私は「父に振り向いてもらいたい」「父に認めてもらいたい」という気持ちが強かったんだと思います。だからこそ、勉強や部活動も人一倍頑張ったんですよね。テストの成績が良ければいつか父が会いに来てくれるんじゃないかとか、変な期待を抱いていた部分もあります。
ただ、父が不在だった分、母の存在は大きかったですね。母はいつも「文句があるなら自分で動きなさい」って言うタイプで、学校の先生が合わないなら直接交渉するような人だったんです。そんな姿を見て、「何かを変えたいなら、誰かの指示を待つのではなく、自分から動かなきゃ」という意識が小学生ながらに育った気がします。

北京の学校生活と社会問題への目覚め

中国の学校生活はどんな感じでしたか? 文化の違いも大きそうですよね。

めちゃくちゃ大きかったです。特に北京に移った後は、勉強熱心な子が多くて、競争も激しい。学校としては結構寮生活が厳しくて、夜は自習時間がしっかり決まっているし、親に連絡するときも制限があったり。最初は寂しさと息苦しさでいっぱいでした。

そんな環境で、斉さんが社会問題に興味を持つようになったのはどういうきっかけだったのですか?

中学に上がったころ、学校のチャリティ団体で農村部を訪問する機会がありました。片道6時間かけて山道を行くようなところで、レンガ造りの学校に通っている子たちと話してみたら、同じ国なのにこんなに格差があるんだと衝撃を受けて・・。
「どうして環境によって学べる機会や生活水準にこんな差が出るんだろう」って疑問を持ったのが大きかったですね。そこからいわゆる“社会の仕組み”に興味を持ち始めたんです。チャリティはもちろん必要だけど、もっと制度レベルで何かを変えなきゃいけないんじゃないかって。

社会に対する義憤が生まれたきっかけだったのですね。実際にその時ボランティア活動に参加などもされましたか?

はい。学校内で募金活動を呼びかけたり、先生に「もっとこういう機会を増やすべき」と提言したりしました。母の影響かもしれませんが、「おかしいと思ったらまず行動する」というスタンスがこのころから形成されていきました。そこから「国際機関やNGOで働きたい」という夢もその事から考えるようになりました。

疑問に思ったり、おかしいと思ったことを声に出して、行動してみることは誰でもできることではないので、学生の頃からその意識があったことが今の斉さんの哲学の土台となっているのですね。

アメリカ留学で学んだ“受け入れ体制”の大切さ

高校を卒業された後、アメリカの大学に進まれたとのことですが、アメリカの大学を選ばれた理由がありましたか?

高校時代から「もっと広い世界を見たい」と思っていたのと、将来的に社会問題に関わる仕事――NGOや国連などに行きたい気持ちが強かったんです。そうなると英語力は必須ですし、どうせなら“留学生の少ない”学校で思いきり鍛えようと思って。留学生が多い有名大だと日本語や中国語が飛び交っているかもしれないじゃないですか(笑)。だから私はあえて、小規模でアメリカ人中心の大学を選んで進学しました。

それはかなりチャレンジングですね。実際に行ってみてどうでしたか?

案の定、最初の学期は大変でしたね。英語で論文を書くのもスピードが追いつかないし、テストが時間内に終わらない。ただ、書き終わった部分の回答は合っていることが多かったみたいで、あるとき教授から「これ、時間さえあれば全部できるのに、君だけ足りてないのは何か理由があるの?」と声を掛けられたんです。

教授もすごい気づきですね・・!その後どうなりましたか?

はい。正直に「留学生で英語が追いついていません」と伝えました。すると教授が「英語レベルが低いというだけで採用ミスではないはずだから、大学としてサポート体制を作ろう」と動いてくれました。追加の試験時間をもらえたり、英語の構成を見てくれる家庭教師を無料でつけてもらったり……。1年生のときはその仕組みに本当に助けられました。

斉さんがきっかけで大学全体が“留学生をどう受け入れるか”を再考する動きになったんですね。

そうなんです。私以外にも「実は英語で困っている留学生」が数名いたのですが、そもそも留学生自体が1%未満だったので、大学として前例もノウハウもなくて。結果的に、それまでなかった留学生支援の担当部署ができたり、テスト時間や提出期限の調整ルールが整備されたりして。
私自身は「組織が苦しんでいる個人を見捨てるんじゃなくて、問題をきちんとシステムとして解決しよう」とする姿勢にすごく感動しましたね。
私が卒業するころには留学生比率が10%近くまで増えたと聞いています。私が“この大学に行った意義”はそこだったんじゃないかなと。実際、アメリカ人の教授やスタッフたちと一緒に「どうすれば留学生が学びやすい環境を作れるか」を考える機会を持てたのは、すごく貴重な体験でした。

その体験は、後のキャリア選択にも影響がありましたか?

大いにありました。自分一人でどうにかするのではなく、組織全体を巻き込むことで社会問題や困りごとを解決していく――そういう考え方は、父の会社を継いでからもすごく役立っていますし、“みんなで仕組みを変えていく”という発想は、今の「公共交通機関でのペット乗車実現」にも繋がっていると思います。

コンサル会社で感じた“モヤモヤ”と父の会社への帰結

大学卒業後はNPOに行く道もあったとか。なぜコンサルに?

「コンサルで経験を積めば、国際機関やNGOでのキャリアにも活かせるよ」ってアドバイスをもらったんです。実際、ボストンの採用イベントで数社から内定をもらって「じゃあ行こうかな」と。ところが入社してみると、若手はプロジェクトを選べないし、自分がやりたかった“社会課題系”の仕事なんて皆無。

日本は縦社会文化が根付いているので、新人時代はやりたい、やりたくないに関係なくなんでもこなすことが求められることが多いですよね。。

そうなんです。英語が得意なはずなのに、クライアントさんには日本語で話すという(笑)。3年経って気づけば自動車メーカーに詳しくなっているだけで、「これって自分が本当にやりたかったことだっけ?」って違和感を持ったんです。そこで第二新卒の形で別の会社に移ったんですが、やっぱりピンとこなくて……。
そんなタイミングで父の会社を覗いてみたら、「あ、ここに面白さがあるかも」と思ったんですよね。私の人生の中でずっと遠い存在だった父が作り上げた会社って、どんなものなんだろうって興味がわいてきました。

そこでT&Sに入社を決意された?

最初は「父がやれって言うなら絶対やりたくない」と思ってました(笑)。でも、父はなぜか一度も「継げ」と言わなくて。むしろ私が「この会社、すごい可能性あるんじゃない?」と興味を示し始めたら、自然と「じゃあ任せてみようかな」みたいな流れになりました。
ただ本格的に「私がやる!」と腹をくくったのは、父が倒れて入院し、コロナ禍で会社が大ピンチになってからですね。それまであまり一緒にいられなかった父が、こんなにも必死に守ってきた会社なら、私が守りたい!と強く思いました。

コロナ禍での代表就任――V字回復への勝負

コロナという未曾有の状況で旅行用品は真っ先に影響を受けましたよね。御社も影響があったと思います。。どのように乗り越えられましたか。

すぐにはどうにもならなかったです。売上は激減するし、父は病院で一切会社に関われない。「ああ、本当に潰れちゃうかも」と社員もパニックでした。だけど、父が育てた工場との信頼関係や開発力はまだ生きていたので、「この力があれば、きっと持ちこたえられるはず」と確信してました。
そういう想いを社員に伝えて、在庫整理や新商品の企画、ブランド力の再定義に集中してもらいました。旅行市場が戻ってきたら、一気に出せるように準備するぞ、と絶対に諦めませんでした。

愛犬クッキーとの出会いから生まれた“ペチコ”

そこに愛犬クッキーくんが参戦してきたんですよね。コロナ禍ならではの出会いというか。

父の入院で落ち込む母を元気づけたかったのと、私自身がリモートワークで家にいることが増えたのが重なって、「じゃあ今だ!」と。柴犬のクッキーを迎え入れてからは、もう生活スタイルがガラッと変わりましたね。
「ワンちゃんと散歩のために 朝5時半に起きるれるわけない」と思ってたのに、今では喜んでクッキーの散歩に行ってます。外に出ると季節の移ろいを感じるし、“こんなにも誰かを愛せるんだ”って自分に驚きました。

日本発の旅ブランドを世界へ――ペット×公共交通の未来

そして“ペチコ”という新ブランドが生まれたわけですね。スーツケースのノウハウをペットキャリーに応用するとは、斉さんならではだなと思いました。

中型犬を電車に乗せるとき、リュックが肩にきてつらいとか、周りからの視線が気になるとか、そういう課題を解決したくて。でも社内は「そんなの誰が使うの?」って反応でした(笑)。だからこそ、自分で試作品を持って電車に乗り込み、幅や座席スペースを測って「こうすれば飼い主も犬も隣の席の人も快適だよ」と証明していきました。
最初は反対していた人も、具体的なデータを見たり実際に触れてみたりすると「確かにこれは新しいかも」と賛同してくれる人が増えて商品を作りだげていきました。父から継いだ「まずはやってみる、問題があるなら一緒に解決する」という姿勢が、ここでも活きていると思います。

想いから生まれた商品とても素敵です!愛犬との移動手段の少なさは長年の課題です。一緒に行ける場所が増えても、犬種により移動手段が限られてしまうと行きたくてもいけないので、この課題にアプローチしていきたいですね。

まさにそうなんです。JRや航空会社でペット同伴を一部認める実証実験が進んでいて、データを積み重ねれば「意外とトラブル少ないんだな」と社会が気づいてくれるかもしれない。もし全国的にペット移動がOKになったら、飼い主さんが「旅行は諦めるしかない」と思う状況が変わるわけですよね。
それってペットの飼育放棄にも歯止めがかかるし、動物福祉の面でもメリットが大きい“日本を代表する旅ブランド”になりたいって思いと、「旅×ペット」の可能性を広げたいという想いを、セットで形にし世の中に届けていきたいです。

クッキーとお出かけ

まとめ:父から受け継いだ“ものづくり”と、愛犬クッキーがもたらす未来

遠かった父の背中を追い、海外で社会問題に目覚め、コンサルでのモヤモヤを経てたどり着いたのは、コロナ禍で危機に直面したT&Sという舞台。その逆境を支えたのは、父が築き上げた工場との信頼関係と、愛犬クッキーが教えてくれた“新しい発想”でした。

「ワンちゃんと一緒に移動するのは大変」という常識をくつがえし、“公共交通機関で犬連れ旅”を当たり前に――。斉さんの挑戦は、単に会社をV字回復させただけでなく、旅そして、ライフスタイルのあり方そのものをアップデートしようとしています。

「父がずっと大事にしてきたものづくりを、
愛犬クッキーが開いてくれた世界と掛け合わせて、
“日本発の旅ブランド”を新しいステージに連れていきたいんです。」

強い意志と柔軟な行動力を兼ね備えた斉さんの言葉には、幼少期から培ってきた“自分で変える”精神があふれています。愛犬家もそうでない人も、彼女のストーリーに触れることで「犬と人がもっと自由に旅を楽しめる未来」を思い描くきっかけになるのではないでしょうか。

斉さん素敵なお話ありがとうございました!!

PETiCOの紹介はこちら:
2022年に誕生したPETiCO(ペチコ)は、日本のスーツケース・鞄メーカーがペットとの移動課題を解決するために立ち上げたペットモビリティーブランドです。
「いつも一緒を叶える」を目指し、公共交通機関で使えるペットキャリーを開発し、東アジアで人気上昇中!
ブランド・商品詳細:https://petico.legend-walker.com/

㈱ティーアンドエス:
2002年創業した旅用品メーカー。
自社ブランドLegend Walker(レジェンドウォーカー)を中心に、旅をもっと身近にできるよう商品企画から販売まで一気通貫に手掛ける企業。
企業紹介:https://www.tands-luggage.jp/

羽鳥友里恵

この記事を書いた人

羽鳥友里恵

愛玩動物飼養管理士/ペット防災危機管理士 株式会社PETSPOT 代表取締役/CEO 株式会社SARABiO温泉微生物研究所 CAO(最高動物福祉責任者)

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